山添 拓 参議院議員・日本共産党

プロフィール

1984年京都府生まれ。東京大学法学部卒、早稲田大学大学院法務研究科修了。
弁護士登録後、東京法律事務所所属。現在、山添拓法律事務所。東京都調布市在住。

学生時代の活動

学生自治会で学費値上げ反対の運動や原水爆禁止世界大会への学生ツアーを主催
都内の学生九条の会による企画「PeaceNight9」第1回で実行委員(2007年)
司法修習生の給費制廃止に反対する「ビギナーズ・ネット」で活動(2010年~)

主な弁護活動

福島原発事故の被害賠償事件に取り組む弁護団、過労死弁護団、首都圏青年ユニオン顧問弁護団、国公労連賃下げ違憲訴訟弁護団など

その他弁護士としての活動

自由法曹団、日本労働弁護団、青年法律家協会に所属
明日の自由を守る若手弁護士の会会員
辺野古新基地建設に反対する若手有志の会(NO MORE BASE FES)でも活動

趣味

登山、スキー、写真撮影(鉄道写真など)

生まれは京都

1984年11月、京都府で生まれました。当時の自宅マンションからは東海道本線の線路がよく見え、近くには広大な車両基地(向日町操車場)も。
行き交う列車を毎日眺めていたのが鉄っちゃんへの道だったか。
小学校時代は丸々と太っていましたが、中学に入り陸上部で汗水流しているうちにだんだん普通の体型に。陸上部といっても、短距離では歯が立たず、中距離でも置いてきぼり、長距離は持久力には自信があったもののスピードがダメ。見かねた顧問の先生が推奨してくれたのが円盤投げでした。競技人口が少なかったからかな・・・。

生後5ヶ月頃
1993年小学校3年生
1993年小学校3年生学芸会

「世界を変えたい」という思い

京都市立堀川高校の人間探究科に入学。京都府内の各地から集まったおもしろい仲間に囲まれて、自分らしさを磨くことができたように思います。京都大学を目指す人も多かったなか、「世界を変えたい」という思いを実現するにはまず東京へ行った方がいいかと考え、東京大学に進学。

スキー大好き トマムにて
高校2年生 鉄道撮影

学生の要求実現活動に向けて活動する日々に

2003年、イラク戦争開戦の年に大学入学で東京へ。「21世紀になっても世界はまだ武力によってしか紛争を解決できないのか」と憤っていました。そのころ出会ったのが、大学の先輩たち。イラク戦争反対の署名を集め、デモにも誘われました。そこで初めて、自ら考えたことを仲間とともに行動に移し、社会を変えようとはたらきかける活動に触れました。以後、大学生活は学生自治会の役員等として学生の要求実現に向けて活動する日々に。当時は国立大学が法人化された直後でしたが、法人化による学費値上げは許さず、東京大学ではその後の2008年から、年収400万円以下の家庭について授業料免除の制度を導入させることができました。

NPT会議への要請にニューヨークへ
学生自治会活動の講師として
全学連事務所で自治会セミナーの準備

弁護士をめざし法科大学院に進学

弁護士をめざし、法科大学院に進学した2007年、都内の様々な大学にある学生の九条の会を横につなぎ、東京全体で大きな企画をつくろうと「PeaceNight9」を立ち上げました。集まった仲間と一緒に、あーでもないこーでもないと議論しながら、故加藤周一さんを早稲田大学に招いた大集会に取り組みます。大事にしたことは、大きな集会を目標としつつ各大学でも独自のプレ企画を準備し、仲間を増やしながら当日を成功させること。最終的には1,100人が集まり「学生は九条を選びたい」とアピール。この取り組みは現在も学生のみなさんによって続けられています。

ピースナイトナイン大集会の告知ビラ
ピースナイトナイン大集会

司法修習生になり、司法修習生の給費制廃止に反対する運動を展開

2010年に司法試験を受験。試験が終わった後は、司法修習生の給費制廃止に反対する運動に。裁判官・検察官・弁護士を目指す人が必ず受けなければならないのが約1年間の司法修習という研修です。修習に専念するためアルバイトが禁止されますが、国家公務員に準じて給与が支払われていました。ところがまさにこの年から、給費制を廃止し、お金がない人は借金するという制度に変わる、これでは「お金のない人は法律家を目指せない」――当時、受験を終えた私たちが当事者として立ち上がり、日弁連(当時は宇都宮健児さんが会長)や市民団体のみなさんとともに猛烈な運動を繰り広げました。デモや署名集め、国会議員へのロビー活動など一致点での取り組みは、法曹という職業のあり方を考えさせられる機会にもなりました。最終的に、1年だけですが給費制を継続させるという成果も。

原発事故被害者に寄り添う弁護士活動

2011年、司法修習中に起きた東日本大震災と原発事故。目に見えない放射能汚染による健康被害の不安、町が丸ごと避難させられる、かつて誰も経験したことのない被害を前に、「原発事故の被害者に寄り添うことが私たちの世代の弁護士としての役割だ」と思い、事件に取り組んできました。国と東電は、裁判で一切責任がないことを前提として、不遜な態度を続けています。この問題の解決には、政治の転換がどうしても必要です。

福島県双葉町で現地調査をする山添拓さん
渋谷駅ハチ公口前で働く若者の実態調査

労働事件にはたらく人の立場で取り組む弁護士としても活動

理由もない解雇、賃金の切り下げ、残業代請求、非正規雇用の事件などのほか、過労死・過労自死の事件にも力を入れてきました。本来人は、生きるために仕事をします。ところが、働きすぎや職場の環境を理由に命を落とす人が後を絶たないという矛盾――労働者の命を奪うまで働かせるのが企業なら、それを規制するのが政治の役割です。ところが安倍政権は、労働者派遣法の改悪や残業代ゼロ法案など、労働法制を破壊し、「世界で一番企業が活躍する国」を目指しています。労働者とその家族の、命とくらしが大事にされる社会に切り替えることは急務です。
刑事事件では、国民救援会が支援した埼京線痴漢えん罪事件も担当。一貫して無罪主張を貫いた「被告人」と支援組織とスクラムを組んで、一審有罪判決から東京高裁で逆転無罪に。

戦争法案反対のたたかい

2015年は戦争法案阻止に向けたたたかいにも積極的に取り組みました。各地で戦争法や自民党改憲草案の学習会の講師活動を行い、国会前などに「見守り弁護士」としても立つことも。多くの若手弁護士とともに、自覚した私たちが担うべき役割を果たしたいと思って、この間の運動にかかわってきました。

ママの会との懇談
吉祥寺若者憲法集会デモ
署名提出@国会

憲法がくらしに生きる社会をつくるために、参院選立候補を決意

弁護士の仕事の根本にある憲法を正面から否定する安倍政権――私は弁護士としても、若い世代の一人としても、許すことはできません。国民に冷たい政治は、とうとう憲法を無視し、国民の声にも耳を貸さないところまで行きついた。そうである以上、いまこそ政治を変えなければならない!憲法がくらしに生きる社会をつくるために、参院選立候補を決意しました。

候補者としての活動のなかで

① 安保法制=戦争法の強行と、その後も続く運動
私が参院選への立候補を表明したのは、安保法制の強行が狙われていたさなかの2015年8月のこと。国会前で多くの方とともに声を上げ、各地で行われたデモや集会にも参加してきました。国会前抗議で深夜に及び、終電がなくなったこともしばしば。
9月16日の参議院安保特別委員会を傍聴。罵声が飛び交うなか与党議員が議長席を取り囲む、およそ採決は呼べない強行採決を目の当たりにしました。こんな議員たちに憲法が踏みにじられ、私たちの将来が左右されるということに激しい憤りを覚え、この法律は絶対に廃止させなければならないと、改めて決意を固めました。

戦争する国づくりを許さないたたかいは、強行採決後も途切れることなく続いてきました。秋が訪れ冬になり、年を越してもその勢いはとどまらず、「野党は共闘」が合言葉に。なかなか進まない時期もありましたが、2016年2月19日、5野党(当時)がそろって安保法制廃止法案を提出、同時に国政選挙を含む野党の協力を確認します。そのことを街頭で訴えると、通りかかった方からも拍手が寄せられました。その後、全国32の一人区すべてで野党の統一候補が実現し、参院選の共通政策の合意も。
いま、「アベ政治」を終わらせる大きなチャンスが訪れています。

② 現場に足を運び、当事者の声をうかがう
病院、介護施設、保育園や子ども食堂、防災・まちづくりに取り組む地域、さまざまな分野で命とくらしに寄り添い努力を進める人々の現場に足を運んできました。ものづくりの町工場や商店街など、中小企業の実態も耳にしてきました。福島原発事故による避難が続く地域、沖縄の米軍新基地建設の現場を訪れると、国民の声と冷たい政治とが真っ向から対立する様を目にします。

熊本地震では、被災された方々を支援するためになにか取り組みたいと、勝手連のみなさんとともに街頭で募金を集め、被災地に届けました。現地で実情を目にし、被災者や自治体などからうかがった声は、参院議員の吉良よし子さんを通じて国会でも取り上げていただきました。

東京では、米軍横田基地へのオスプレイ配備、羽田空港の新航路運用など都民の生活を脅かす問題、道路建設、スーパー堤防やリニア新幹線、築地市場移転を含む臨海部開発などの公共事業においても、住民の声に耳を傾けない政治の在り方を痛感します。私も一つひとつの現場を訪れる機会を得てお話をうかがってきました。その声を、必ず国会へ届けたいと決意しています。

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