山添 拓 参議院議員 日本共産党

国会質問

2025年・第217通常国会

旧日本軍731部隊 毒ガスや細菌兵器人体実験の戦史史料 基準つくり隠ぺい 調査迫る

○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
旧日本軍と防衛省・自衛隊とは断絶しているとされます。防衛大臣、御認識いかがでしょうか。

○防衛大臣(中谷元君) 自衛隊は昭和二十九年に設立をされましたけれども、当時の憲法の中でこの国を守る組織として創立されたものでございまして、旧軍とは全く違うものであると認識しております。

○山添拓君 私は、三月二十一日の予算委員会で七三一部隊について質問しました。政府は、戦後、七三一部隊、関東軍防疫給水部の存在を認める一方で、その具体的な活動状況や生体実験に関する事実を確認できる資料は確認されていないなどとしてきました。
資料の一枚目がその予算委員会で示した資料です。き弾射撃による皮膚傷害並一般臨床的症状観察という資料で、これは毒ガスを使った人体実験の記録です。防衛省防衛研究所に保管されておりました。
資料二を御覧ください。
これはこの資料を受け付けた際に作られた経歴票で、所見として、人を使用して行った試験の成績であり、得難い貴重なものなどとしております。資料の作成者は池田苗夫、その本人が提供したとされます。
資料の三を御覧ください。
一九四〇年八月二十二日調製の関東軍防疫給水部将校等文官職員表には、診療部員池田苗夫と名前があります。これは公文書館に保管されている資料です。
資料の四も御覧ください。
こちらは一九四二年九月一日調製の陸軍将校名簿です。ここにも関東軍防疫給水部部員池田苗夫とあります。これは防衛省が提出した資料です。
資料一で示しましたこの人体実験は、一九四〇年九月七日から十日に行われたとされます。
防衛省に伺います。
当時、池田苗夫氏は七三一部隊に所属していたわけですね。

○防衛省 防衛政策局長(大和太郎君) お答えいたします。
防衛研究所で管理する昭和十七年九月一日調べ陸軍将校実役停年名簿下巻には、池田苗夫氏が昭和十五年八月二十二日付けで関東軍防疫給水部部員に任じられたとの記載があります。
その上で申しますが、一般に、ある資料に記載されている内容が客観的に事実か否かということを政府として断定するためには、その資料の性格や時間的な経過、その他複数の資料から裏付けられるかといった様々な要素を総合的に考慮し、慎重に判断する必要があります。
池田氏本人やその他多くの関係者が亡くなられ、直接的な確認を取ることができない状況において事実関係を断定することは極めて困難であります。

○山添拓君 いや、それはおかしいと思います。
資料の二は戦後作られたものです。資料の経歴票、ここには池田苗夫氏の経歴が書かれており、昭和十五年、一九四〇年七月から十七年十一月、関東軍防疫給水部附軍医少佐と書いているじゃありませんか。
戦後も確認しているんじゃありませんか。

○政府参考人(大和太郎君) お答えします。
繰り返しになりますが、一般に資料に記載されている内容が客観的に事実か否かということを政府として断定するためにはいろいろなことをよく見なければいけないということであります。
それから、防衛研究所が管理する戦史史料は、公文書管理法及び同法の施行令に基づきまして、歴史的、若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として管理がなされているものでありまして、公文書管理法に定める公文書等には該当いたしません。
なお、防衛研究所においては、管理している戦史史料を整理する目的から、旧軍が作成したと見られる文書を公文書、個人による日記、回想などと見られる文書を非公文書として分類しているところであります。
この資料は、当該資料は防衛研究所における管理上、公文書に分類されておりますが、公文書管理法に定める公文書等には該当はいたしません。

○山添拓君 ごちゃごちゃおっしゃったんですけどね、どれも公文書なんですよ。自ら所蔵している史料に書かれていることすら認定できないというのは、これは理解できません。
私の手元には、池田氏が戦後、新潟大学に提出した履歴書の写しもあり、池田氏自身が当時七三一部隊に所属していたことを記しています。
改めて、政府として調査して報告するように求めたいと思います。

○委員長(滝沢求君) 後刻理事会で協議いたします。

○山添拓君 き弾射撃の史料が寄贈されたのは一九六四年でしたが、公開は二〇〇四年です。四十年も秘匿し、その間、国会では史料がないと繰り返しました。なぜそんなことになったのでしょうか。
防衛研究所で探していただきまして、一九八二年、昭和五十七年十二月二十日付け、戦史史資料の一般公開に関する内規を提出いただきました。その第四条にはプライバシーの保護を要するもの、国益を損なうもの、好ましくない社会的反響を惹起するおそれのあるものについて公開しないものとすると書かれております。
資料の五を御覧ください。
これは、同じく防衛研に提出いただいた一九八三年、昭和五十八年十二月二十日付け、公文書の公開審査実施計画です。ここには公開審査の詳細が書かれております。その二枚目を御覧ください。先ほどの三つの分類の略号として、プライバシーに関するものはP、国益に関するものはN、社会的反響に関するものはSなどとしております。
さらに、めくっていただいて、六ページ。非公開判定の指針として、公開すべきものは丸、部分非公開は三角、非公開はバツ、そして、判定を審査会議の審査に委ねるものは摘出とすることが書かれております。
以下、具体的な内容ごとの審査指針に移るのですが、その次の七ページを御覧ください。
人事に関するもの、第七三一防疫給水部関係人事資料は摘出の対象とされています。これはなぜでしょうか。

○政府参考人(大和太郎君) 今の御質問は摘出と、(発言する者あり)はい。
お答えいたします。
御指摘の文書が作成されたのは約四十年前でありまして、個別の記述について確たることを申し上げるのは困難でありますが、戦史史資料の一般公開に関する内規において当時の公開審査の基準が定められ、また、公文書の公開審査実施計画においてその細部要領が示されていると、こういうふうに認識しております。
なお、この戦史史料の一般公開に関する内規は、平成二年に定められた図書館史料庫の立入り等に関する内規によって廃止されているところであります。

○山添拓君 御覧いただきましたら分かるように、人事に関するもので摘出の対象となっているのは七三一の史料だけなんですね。明らかに特別扱いしているんですよ。理由は分かりませんか。

○政府参考人(大和太郎君) 繰り返しになりますが、御指摘の文書が作成されたのは四十年前でありまして、個別の記述あるいはそれぞれの記述が文書の公開、非公開の判断に具体的にどのように適用されたかというのは、なかなかお答えすることが難しいことを御理解いただきたいと思います。

○山添拓君 さらに、めくっていただいて、九ページを御覧ください。
上段、国益を損なうおそれのあるもの、戦争関係法規違反及び国際問題へ発展するおそれのあるものの中に有毒ガスの使用とあり、やはり公開すべきかどうかは摘出審査にかけよとなっています。下段の方は、好ましくない社会的反響を喚起するおそれのあるもの、そして、その中に細菌兵器に関するものが挙げられ、実験についての報告・記録、使用の疑いを抱かせるものが摘出審査対象となっています。
七三一部隊を始め毒ガスの使用や細菌兵器の実験、使用に関する史料は当時防衛研にあったということにほかならないのではありませんか。

○政府参考人(大和太郎君) 繰り返しになりますけれども、御指摘の公文書の公開審査実施計画が作成されたのは約四十年前でありまして、個別の記述や、それが公開、非公開の判断にどのように適用されたかについて確たることを申し上げるのは困難であります。
先ほど申し上げましたとおり、これらの内規は平成二年に定められた図書館史料庫の立入り等に関する内規によって廃止されております。また、平成十三年には、戦史史資料の閲覧利用規則が定められまして、戦史史料の利用の制限が情報公開法に準拠することが明文化されました。さらに、平成二十三年以降は、公文書管理法施行令等に基づきまして、個人や法人等に関する情報であって、公にすることによりそれらの権利利益を害するおそれがある場合や史料を公にしないことを条件に寄贈を受けている場合、史料の破損等のおそれがある場合に限って利用を制限していることとしており、防衛研究所における戦史史料の公開に努めてきたところであります。

○山添拓君 四十年以上前だといって、昔のことだと言いたいようなんですが、戦史史料室ですからね。歴史を扱ってきているわけですよ。昔のものだから確認できないと言い出したら何のための史料室かということになってしまいます。
これらの規定に基づいて、摘出とされた史料を調査して報告するように求めたいと思います。

○委員長(滝沢求君) 後刻理事会で協議いたします。

○山添拓君 戦史室の創設以来、一九七〇年代までに在籍した戦史編さん官の人数と、そのうち旧軍関係者の人数、お示しください。

○政府参考人(大和太郎君) お答えいたします。
昭和四十八年五月に防衛研修所戦史室により作成された「戦史編纂沿革・履歴・索引」によれば、戦史室に在籍した戦史編さん官等の人数は百二十一人でありまして、その全員が旧軍関係者であったと記されております。

○山添拓君 資料二のき弾射撃の史料について、人を使用して行った試験の成績であり、得難い貴重なものと所見を記した辻秀雄氏も元陸軍少佐で旧軍人です。
ここに史料管理上の最高責任者とある西浦進戦史室長の終戦直前の地位はシナ派遣軍参謀とあります。日米開戦直前、東条内閣が誕生した一九四一年十月からは陸軍大臣秘書官、翌年四月から陸軍軍務局軍事課長を務めた元大佐で、当時陸軍大臣は東条英機が総理大臣と兼任をしておりました。したがって、西浦氏は、文字どおり旧陸軍の中枢にいた人物です。今お話あったように、戦史の編さんというのは全て旧軍関係者が扱ってきたわけです。
大臣は冒頭、旧日本軍と防衛省・自衛隊は断絶していると、こうおっしゃったわけですが、別の組織だとおっしゃったわけですが、断絶などしていません。いや、むしろ連続しているからこそ、七三一部隊の人体実験や細菌戦を後ろ暗く感じて隠蔽の基準まで作ってきたと、こう言われても仕方がないんじゃありませんか。大臣。

○政府参考人(大和太郎君) 今御質問にありました西浦進氏でありますけれども、先ほど申し上げた「戦史編纂沿革・履歴・索引」によれば、大正十一年に陸軍士官学校を卒業した後、昭和十七年に陸軍省軍務局軍事課長を務め、昭和三十一年に防衛研修所戦史室長となったことが記されております。
防衛研究所は、自衛隊の管理及び運営に関する基本的な調査研究を行う機関であります。戦史叢書は戦史研究センターの前身である戦史室が自衛隊の教育又は研究の資とすることを目的として刊行したものでありまして、他の防衛研究所の刊行物と同様に防衛省や防衛研究所としての見解を示したものではありません。

○山添拓君 質問と全然違います。大臣の認識を伺っています。

○国務大臣(中谷元君) いわゆる七三一部隊につきましては、時間的な経過を鑑みますと、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定をするということは極めて困難と考えます。
新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたいと考えております。

○山添拓君 私は極めて残念ですね。時間的な経過を理由とされます。しかし、時間的な経過は何によってもたらされたかと言えば、隠蔽の基準を作ってきたからですよ。そして世に出さないできたからですよ。そのことも反省もなく、もう極めて困難だとおっしゃる。いや、まだまだ事実関係は調査できると思いますよ。
私は、歴史に目をつぶって、侵略戦争を美化する靖国神社を自衛隊幹部が連れ立って参拝しているとか、あるいは、陸上自衛隊の一五旅団が公式サイトに沖縄戦当時の牛島満司令官の辞世の句を掲載して、大臣がこれを、平和を願う印象が強いなどと擁護されたりする。断絶どころか連続をうかがわせる事実ばかりだと思います。その政治が憲法解釈を変えて、軍事費を増やして、そして軍備を拡張して……

○委員長(滝沢求君) 申合せの時間が参りましたので質疑をおまとめください。

○山添拓君 はい。
憲法そのものまで変えようとしている。これ断じて認められないと、そのことを指摘して質問を終わります。

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