山添 拓 参議院議員 日本共産党

国会質問

2022年・第208通常国会

憲法審査会で「オンライン国会」についての参考人質疑を行いました。

要約
  • 憲法審査会で「オンライン国会」についての参考人質疑を行いました。 憲法56条1項の「出席」を解釈でオンラインでも可とすると判断基準があいまいになる、歯止めはあるかと質問。「明確な歯止めはない」「相応のコンセンサスが重要」など参考人から答弁がありました。

○参考人(赤坂幸一君) 九州大学の赤坂でございます。
本日は、五十六条の問題、端的にオンライン国会の導入の可否というお話であると思いますので、そこに焦点を当てて、比較憲法の視点や、あるいは衆議院の側での議論を補完するような、新しい視点をそこに加えるような話題を提供させていただきたいと思います。
このようなオンライン国会を導入するに当たって一つ参考になるかなと思いましたのが、私がよく参照する先でもあるんですけれども、ドイツ連邦議会の問題で、そこではこのパンデミックに対応するために二つの憲法改正の構想が出されて、そして消えていきました。
簡単にかいつまんで申し上げますと、現在、五十三a条というものがあって、これは、外敵がもし攻めてきたときに連邦議会に代わるある組織をつくる、合同委員会というのをつくるという、こういう規定なんですけれども、これをモデルとして五十三b条というのを作ろうという構想がドイツ連邦議会の事務局の内部から、経緯はよく分からないんですが、出ました。読み上げませんが、そこにあるような意味での緊急事態が発生したときには、この緊急委員会が連邦議会に代わるという規定でございます。
もう一つの構想というのは、バーチャル議会というのを導入できないかということで、この諮問を受けたドイツ連邦議会の中に学術局という部門があります。そこが文言をいろいろ精査した結果、今のままでは駄目で、憲法三十九条三項を変える必要があるということで、下線を引いてある部分を付け加えるような憲法改正案を出しました。バーチャル議会のことについては明記されていませんけれども、法案の提案理由を見ますと、これはバーチャル議会を主に導入するためのものであるということが分かります。
ただ、先ほど申し上げましたように、これは構想は実現しませんでした。何が問題とされたのかといいますと、緊急委員会というものについて、まずこれ、伝染病とか大規模事故、あるいは自然災害といったもの、幅広く対象にして緊急事態の法制を設けようとするもので、一つはその対処すべき問題が過度に広範に及ぶと。そのため、それぞれの事態に応じて対処すべき中身というのは変わってくるはずであるのにもかかわらず、そのような広範な規定になってしまっており、そこに問題があると。とりわけ、ドイツの場合は定足数が議事規則で定まっていますので、そういった定足数の調整とか、あるいはディスタンスの確保というものは技術的な、それ自体が問題であるということで、この憲法改正は必要ないという議論が一つありました。
もう一つは、五十三a条というのは、これは東西の冷戦のときにそれを背景として作られたもので、例えば核シェルターの中に議員さんたちがいて出てこれないと、そういうときにどうやって議会の機能を確保するかという観点から設けられた規定でして、そして、だからこそ審議は非公開で行われるわけですが、パンデミックの場合はこういった議論が当てはまらないはずであると。にもかかわらず、五十三a条をそのままモデルにして導入していると。
次のものがより本質的なんですが、そういった危機的な状況においてこそ、議会に代わる組織ではなくて議会自身が審議するということが、国民代表がそこにいるということが重要であるという話が、批判がございました。危機においては執行部の比重というものがどうしても増大しがちでありますので、それに対して検証を重ね、批判をし、オルタナティブを提示するという役目の組織というものを確保しなくてはならない、それが議会であるというわけです。
バーチャル議会につきましても、第二の構想ですけれども、会議の開催方法というのは、自己組織権、これは我が国でいう議院運営自律権と組織自律権どちらも含むような権限ですけれども、これの問題であって、ここに、三十九条三項に書かなくとも、既に他の条項を根拠にして自己組織権というものは承認されていますので、なら、その自己組織権に基づいて組織すればいいじゃないかという批判がありまして、その結果、次の二ページ目にありますような、一つは百二十六a条というものが設けられました。そして、議事規則の附録というものが作られ、もう一つは慣行として書記役議員が除外されると。
この辺り、ちょっと詳しくは申し上げませんけれども、これら全てが議事規則自律権の話であると考えられています。すなわち、議事規則を定めるかどうかという話だけではなくて、慣行も含めて議事の秩序ですね、これを定めるというものがここでいう議事規則自律権とか自己組織権の内実であるということです。
具体的な規律ですけれども、この百二十六a条を御覧いただければお分かりになるとおり、このパンデミックに、コロナの問題に特化した、それだけに特化した規定でして、そして第一項、第二項、かつては本会議の定足数を四分の一に縮減し、委員会も同じようにしていたんですが、現在ではそれが廃止されています。本会議については電子的なオンライン出席というのは最初から認められていませんで、第二項で委員会についてはしかしそれを認めるという規定が当初より設けられ、今もなお継続しています。この辺り、衆議院の審査会の資料辺りは少し以前のものですので、こちらでアップデートしていただければと思います。
また、出席だけではなくて、投票や採決につきましても、コミュニケーション、電子的なコミュニケーション手段を用いることができるし、また公衆の参加というものも電子的な手段を用いてすることができると。そして、最後のところ、二〇二二年七月十五日と書いていますが、これは半年ごとに更新されているようで、このように時限的なものとして、また対象を限って、一定の対処を議事規則レベルでしているということです。
どうしてこのような対応がなされたのかということですが、一つは本会議と委員会の役割分担、あるいは委員会の中でも作業を、法案修正を行う、切った張ったの議論を行う場としての委員会と、外部に対して自分たちの各会派の見解、姿勢を示す、討論する場としての議会と、この役割分担という考え方があります。
本会議は原則としてこの討論の役割を果たし、また委員会も一部はこの役割を果たすんですが、主な委員会の機能はこの作業議会にあると考えられています。これが、今三ページの頭辺りのことを申し上げましたけれども、本会議は認めないが、委員会は電子的な関与、参加を認めるという背景にはこういった区別もあるのだろうと思います。
以上を踏まえまして、これが我が国の議論にどういった示唆をもたらすのかということをもう少し深く立ち入って、新しい視点も入れながらまとめてみたのが三ページ以下ということになります。
ここでその議論をちょっと整理させていただきたいのですが、幾つかのオンライン審議といっても、幾つかの局面、段階というものがあろうかと思います。一つは本会議と委員会の区別もそうですし、また委員会の中でも幾つかの段階があると、そういった区分が必要であろうと。
それから、個々の議員や参加者が例えば妊娠、出産、障害といった特別の個別の事情を持っており、それに基づく例外措置をとらなくてはならない場合というのが要請されている場合があると。そういった主観的な事情から離れて、今回のコロナのように客観的な特別の事情があって、それに基づいて例外措置が要請されている場合があると。
最後に、そういった特別の客観的事情はないんですけれども、このオンラインのツールを用いることでより効果的に手軽に審査することができるという立場からの活用も述べられて、提案されているところです。
このうち、上から二つ目のポチにあります個々の議員や参加者の事情に基づく例外措置につきましては、これは我が国でも主張されているところですけれども、国民代表としての職責を十分に果たすために、むしろこのオンラインに限らず、点字の問題とか社会的障壁の問題ですとか、むしろ積極的に国民代表としての職責を果たし得るための環境を整えることが、これが求められるのであろうと。このオンラインが認められるかどうかというよりも、このオンライン参加というものも、必要に、個々の必要に応じて、必要であれば積極的に措置する必要があるであろうというわけです。まあ同じようなことは参考人についても準じて考えることができるのかなと思われます。
これに対して、後述しますような理由から、本会議につきましては、国民代表と、この代表という理念に照らしまして、オンライン審議はごく限定的にのみ認められると私自身は考えておりまして、これは特別の事情がどれぐらい重大なものであるのかと、これとのバランスで考えるべきだという話ですが、これは下の(3)以降で述べさせていただきます。
で、次のところ、矢印ですが、委員会審査のうち先ほど申し上げました作業議会としての性格を持つ部分といいますのは、これはその特別の事情が、例えばコロナのような事情があるのであれば、とりわけそのオンライン参加を認めることによって切った張ったの議論、これを効率的に進める余地があるだろうと。
我が国、その定足数の話とかが出てきますのは主にその本会議のことを念頭に置いていますが、注の七にもありますように、委員会審議でオンラインツールを利用している国が大半で、先ほど見ましたドイツの場合も、本会議は最初からそういったオンライン審議というものは本会議については認めていないというわけです。それはなぜかというのは、この(3)以降で指摘させていただきます。逆に言うと、委員会の段階では、効果的な効率的な作業ツールとしてこのオンライン審査というものを認める余地があり得るのではないかという問題提起をさせていただきたいと思います。
(2)に参ります。
そのオンライン審議というのも一つの手続でありますけれども、その手続というのは単に効率を追求するだけでは駄目でございまして、慎重さ、熟議の確保、公開性、公正性などなどですね、幾つかのその理念というものを背後に持っているわけです。そういった手続を履践するからこそ、単に議会で決まったというだけではなく、議会でこういった手続を踏んで決まった決定である、だからそれが受け入れられると、受容される、アクセプタンスされるということになるわけです。
で、このような議場は、議事手続と議場構造というのは実は一体的な関係にありまして、詳細は注の九の文献に譲りますが、この議場構造とその議事手続、例えばフランスモデルの議事手続、イギリスモデルの議事手続というのは、それぞれの議場構造と密接に一体のものとして形成されてきております。それぞれ重点は違いながらも、効率性とは異なる手続の価値というものを追求しているわけなんですが、このことだけ見ますと、他面から見れば、たとえオンラインの審議ないし審査であったとしても、こういったもろもろの価値を体現するような議事手続やオンラインでの構造というものが実質的に確保されるのであれば、必ずしも憲法の禁ずるところではないと、これだけ見れば言えるようにも思われます。
ただ、しかし、本会議という政治空間についてはもう少し別途の視点も必要であろうというのが(3)以降になります。
本会議という政治空間というのは、元々、中世以来の政治的身体という理念から実は出てきておりまして、フランス革命のときに国王が倒れたと、そうすると公共体の統一性というものがばらばらになってしまって、今まで統合していたものがなくなってしまうわけですから、そこで国民代表体というものがそこで初めて創出されて、それが正統性原理を獲得しようということで、公共体の国民共同体の統一的な声を、意思を示すための組織としてこの議会空間というものが組織されたという背景があります。
その構造とか議事手続や構成員の身分保障、いろいろな側面でこの問題が出てまいります。我が国の議会に見られる半円型の議場構造も、またそして演壇というものも、全体として実は国民代表体というものが統一的なボイスを語るための演出装置として実はつくられたという背景があります。
こういった政治空間というのは意味の世界を成しておりまして、単にそこで議論が行われているというだけじゃなくて、そういう場でそういう議論が、国民代表の声が出されていると、統一的な声が語られているということが重要で、ですから、参考資料、これ十六ページ以降になりますけれども、近年そういった政治空間における発話行為ですね、これへの関心というものが深まっているわけです。
そこにあるのは、端的に申しますと、世界をコミュニケーションを通じた構築物として捉える、意味の世界として捉える立場であると。こういった背後の理念を踏まえて、そこに位置付けて今回の問題を眺めてみますと、四ページの下のようにまとめられるのではないかと思われます。
一つは、この対面優位説と呼ばれているものが議場における現在性とか身体性を強調して、オンライン審議を例外的な場面に限るべきだと考えるのは、こういった基底的な代表理念というものを背後に恐らく置いているからであろうと。そして、私もその立場に立つわけです。
また、五十六条の出席というのを機能ではなく物理的出席に限定するという解釈も、こういった国民代表体の代表機能の重要性に着眼するからこそで、それゆえに説得力を持つというわけです。
ただ、それだけで済むのかというと、そうではないというのが最後のところで、特定の事情のゆえに議会が物理的にそもそも集会できないという場合には、議事手続上の価値を追求しようにも、あるいは相互コミュニケーションを議事空間でしようにも、そもそもそれ自体ができない状況に置かれています。そういった緊急事態においてこそ、実は議会審議というものが、国民代表の議論というものが必要であるということに鑑みますと、そういった状況において例外的ないし限定的にオンライン審議手続を採用するということも、審議手続の議会の形成権の範囲に入っているんであろうと私自身は考えております。
これとは別に、最後の一行ですが、先ほどの、個々の議員の個別的な主観的事情に基づく例外措置や、作業議会としての委員会審査におけるバーチャルなツールの使用というものについては、積極的にまた違った観点から推進していく余地もあるのではないかと私自身は考えております。
少しオーバーしてしまいましたが、ひとまず以上でございます。
○会長(中川雅治君) ありがとうございました。
次に、長谷部参考人にお願いいたします。長谷部参考人。
○参考人(長谷部恭男君) 長谷部でございます。
本日は、発言の機会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。
私のペーパーでございますが、国会議員の出席の機能的代替についてという、そういうテーマになっております。
実は、国会議員の皆さんの出席というものの意義ですが、これは実は全国民を代表するという国会議員の職責と切り離して議論することができません。
憲法には、両議院は、各々総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができないとあるわけなんですが、国会議員は、実は、会議に出席をする、これは英語で言うとプレゼントになります、出席をすることで統一体としての全国民を代表している、これを英語で言うとリプレゼントになります。議員の方の出席と、そして議員による全国民の代表という観念の間には、実は密接でかつ有機的な連関がございます。
代表、リプレゼントするということは、これは今の赤坂参考人のお話にもありましたとおり、その場に存在しない、したがってその場では目に見えない何者かを代わって現前すると、プレゼントさせるということを意味をしております。したがいまして、代表する者はその場にやはり目に見える形で物理的に存在をすると、現前していないとこれは話にならないということになります。
ジャン・ジャック・ルソーというフランスの政治哲学者が、主権は代表され得ないのだということを彼の社会契約論で言っておりますが、これも同じ文脈で理解をすることができます。ルソーの構想するところでは、主権者たる人民は、自ら集会することによって主権を行使するというふうに考えられています。そうすると、主権者たる人民は既にその場に現前していると、そうである以上は、それが更に代表される、リプレゼントされるということはあり得ないということになります。
国会議員が代表するのは、これは統一体としての全国民です。国会議員が全国民を代表するようになる以前、これまた赤坂参考人が御指摘のとおりですが、全国民を代表したのは国王でした。国王は、目に見える形で一般大衆の前に姿を現すことで目に見えない政治体、ボディーポリティークとしての国民全体を代表します。そして、その国王の権威を打倒し、国王に代わって全国民を代表するに至ったのが議会であります。その議会は誰の目にも見える形で集会をする必要があります。したがいまして、現実の出席、プレゼント、目に見える形での集会が必要になります。それは国王が自ら人民の前に姿を現したのと同様です。
個々の国会議員が現実に会議に出席することには、統一体としての全国民を目に見える形で代表するという象徴的な意味合いがございます。象徴的な意味にすぎないのだからといって、それをそぎ落として電子通信技術による出席を機能的に可能とすることは、実はプレゼントであるはずの出席をリプレゼントである代表に変容させることになります。というのも、その場に現に存在しない、現前しない者を現前したことにしているというわけですから。これはやはり出席という概念の意義を根底的に、かつ言わばキマイラ的に変容することになると思われます。そうであれば、少なくともそれを可能とする明文の憲法の規定が必要になるのではないでしょうか。
ただ、国会議員の方々には、肝腎の採決の場に、その場にいなければならないという職務の特殊性があると、そういう観点もあり得るのかもしれません。しかし、その場合は、国会議員の出席の意味は記名投票、要するに投票をする人の数として機能的に縮減されてしまうと、そういう懸念はないでしょうか。議員の職務の意義を単なる投票上の計数、数へと切り下げることになりはしないかということです。
仮にそういった形で、議員の職務は単なる投票上の計数であるという形で割り切るのでありましたら、これはイギリスの議会でも見られるような与野党間のペアリング、つまり、与党の議員が病欠したときは、例えばですが、同数の野党の議員も欠席をするように約束をするという、そういう慣行がございますが、これを実施する方がはるかに簡便でコストも掛からないと考えられます。
外国の憲法を見ると、議員が病気等で出席できない場合の代理でありますとか、議員が欠けた場合の代替の議員の確保につきましては、憲法の明文で定めている例がございます。もし病欠等で出席できない議員が出た場合に対処する必要があるというのであれば、やはり本来は憲法を改正して対処をするというのが筋のように思われます。
しかも、こうした機能的な出席の扉を一旦開けてしまいますと、その場面を例えば産前産後の女性議員に限定をするという実質的な理由はどうも見当たらないように思われます。こういった形での機能的な出席の概念の拡大、果たして歯止めはあるのだろうか、そういう懸念が出てまいります。
実は、以上、私が申し述べましたのは、二〇一八年の時点での、国会議員の方々が病気の療養あるいは妊娠、子育て等で出席が困難である場合にオンラインでの出席を認めることはできないだろうかという、これは衆議院の法制局の方々からの問いかけに対する応答として私が考えたところをまとめたものでございます。
しかしながら、パンデミックが蔓延した等の特殊な事情で国会議員全体がそもそも議場に集会することが困難だ、そのために、オンラインでの会議開催を認めない限り、国会としての最低限の機能も果たすことができない、そうなった場合にどう考えるべきなのかというのは、これはおのずと別の問題になると私は考えております。
ちなみに、我が国日本では、コロナウイルスに関する限り、オンラインでの会議開催を認めないと国会としての最低限の機能をも果たすことができない、そうした事態には少なくとも現在までのところは立ち至っていないと考えられますが、今後そうした極めて異常な事態が発生した場合にどのように対応するべきなのか、これを考えておくことにはやはり意味はあると考えます。
そうした異常な状況においても、憲法改正なくしてはオンラインでの会議開催は認めないという考え方は、私は良識に反するように思われます。一国の憲法というのはその国家の良識の表れでもあります。異常な状況においてもあくまで文言にこだわって良識に反する結論を導くというのは、憲法解釈の在り方としては適切とは言い難いように思われます。
憲法改正には、当然ながら多くの時間とコストが掛かります。とはいえ、前述した物理的な出席によって初めて全国民を代表することができるという近代議会政治の原則論から申しますと、オンラインによる出席の代替が認められるのは、それを認めない限り国会としての最低限の機能をも果たすことができないという例外的な事情、これが客観的に認定される場合でありまして、しかも必要最小限の範囲内のみのことと考えるべきではないかと思われます。そうした事情がないにもかかわらず、オンラインによる出席の代替を認めるということは、やはりこれは憲法に違反をしているものと思われます。
このように、オンラインによる出席の代替を、例外的な状況において、しかもやむを得ない必要最小限の場合に限定しないということになりますと、これは、事は憲法五十六条の出席には恐らくとどまらないでありましょう。解釈によって五十六条に言う出席をオンラインによる出席へと一般的に拡大をしてしまいますと、六十三条の定める内閣総理大臣その他の国務大臣が出席を求められた場合の出席についても、同様に解釈によって拡大することとしなければ整合性が取れません。さらには、六十二条の定める議院による国政調査としての証人の出頭そして証言を求める際にも、やはりオンラインでの出頭や証言で代替し得るのか、そういった問題にも直面しなければならないのではないでしょうか。
それらを含めて、各議院が適当と考えるのであれば、全てオンラインによる出席や出頭を認めるというのもこれは一つの割り切り方ではございますが、それでは冒頭に述べた近代議会政治の原則論は吹き飛んでしまうことになります。
結論といたしましては、パンデミックの蔓延といった特殊な事情で国会議員が議場に実際に集会すること自体が困難となり、そのためオンラインでの会議開催を認めない限り国会としての最低限の機能も果たすことができない、そういった極めて例外的な事情の存在が客観的に認定される場合に、必要最小限の範囲内においてオンラインでの会議開催を認める、これはあり得るのではないかというのが私の結論でございます。
以上、御清聴どうもありがとうございました。

 
○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
赤坂参考人、長谷部参考人、今日はありがとうございました。
お二人に伺います。
憲法は、国民の自由と権利を保障し、三権分立の下で権力を縛っています。国会も国家権力の一つでありますので、憲法五十六条一項が三分の一の出席を求めているのも、特に多数派が審議や採決をないがしろにするのを防いで、濫用、暴走させないための規定だと言えると思います。したがって、国会の特に多数派による立法権行使の濫用や暴走を防ぐ上で、条文の解釈は厳格になされるべきだと考えます。
一方で、今日も議論になっております議院自律権というのは、国会の多数派の意思を強く反映するものかと思います。議院自律権を根拠に五十六条の文言解釈を緩めるのは、この意味でふさわしくないのではないかと考えますが、いかがでしょうか。
○会長(中川雅治君) 赤坂参考人からでよろしいですか。赤坂参考人。
○参考人(赤坂幸一君) まあおっしゃる側面も確かにあると思うのですが、これはよく指摘されてきたように、その議事運営の在り方を決める、これはできるだけその全会一致によると、全会派の承認、合意が得られて初めて変えると。こういうその運営の在り方ですね、これとやはりセットで考えていく必要があるのではないかと思います。
この三分の一の定足数というのが確かにそういう機能を果たし得る側面もあるのは確かですけれども、しかし、冷静に比較的に見れば、憲法上そういった定足数が厳格に定められて、それが文字どおり守られていると、運用されている国というのは少ないわけで、ある教科書にはもう定足数という観念自体捨てられつつあると書かれているぐらいで、むしろその合理的な運営ルールとして定足数をどう考えるかという問題も別にあるのではないかと。
そして、その運営の在り方として、そこでその全会一致ルールというようなものを併せ考える、それを、その重要性をいま一度意識するということが重要なのではないかと考えます。
○参考人(長谷部恭男君) どうも御質問ありがとうございます。
御指摘のとおり、憲法五十六条、大変準則としての性格が濃い、そういう色彩が濃くて、答えを明確に決め切っている規定なのだという、そういう考え方は妥当な考え方なのだと思います。ただ、答えを決め切っている準則の規定であるからといって、いつもいつもそのとおりにしなくてはいけないかという、そういう問題なんだろうと思います。
これ、外国の話で恐縮ですけれども、一九七一年にイギリスでバッコーク判決という有名な判決があるんですが、これは、当時のイギリスでは、道路の交通規則で緊急車両が赤信号を通過しても構わないという明文の規定がなかったんですね。それじゃ消防車はどうするんだ、救急車どうするんだということが問題になって、当時のロンドンの消防局が消防署員に対して赤信号でも事故が起こらないように気を付けて通過するんだという通達を出したところ、これが違法なのではないかということが議論になったので、裁判があります。
ただ、そこでは裁判所は、やはり通過しても構わない、すぐそこで火事になって上の階で助けを求めている人がいる、目の前の信号が赤だからといって止まるわけにはいかないではないかという、そういうわけでございまして、やはり準則としての性格が強い規定であっても、それをいつもいつも守るべきなのかというのはやはり時と場合によるのではないかということではないかと思います。
○山添拓君 ありがとうございます。
私が文言解釈を緩めることに慎重であるべきだと考えますのは、明文規定に反する国会の在り方が既に存在しているからであります。
憲法五十三条は、「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」としています。召集派の召集要求権、少数派の召集要求権であり、内閣に召集義務があります。ところが、二〇二〇年七月と二一年七月、野党が求めた臨時国会の召集を安倍内閣、菅内閣は拒み続けました。
赤坂参考人は、危機的状況においてこそ議会審議が重要だという指摘をされました。私もそのとおりだと思います。しかし、これに反する実態が現在あります。このことについて両参考人の御意見を伺いたいと思います。
○参考人(赤坂幸一君) おっしゃるとおり、危機的状況においては審議すべきだというのはそのとおりで、その臨時会の請求というものが、召集要求というものが、じゃ、その危機的な状況と関係するかというと、それはまた一つの別次元の話ではないかと思います。
ただ、その憲法上定められた臨時会というものを確かに開催しなかったというのは、これは私、私個人としては問題があると考えております。
○参考人(長谷部恭男君) 五十三条に関わりましては、実は幾つか訴訟が提起をされておりまして、実はその一方の、原告側の、原告側で意見書を提出している人間なものですから、余り個別の問題について申し上げない方がよろしいのではないかと。
ただ、学界の通説は、赤坂参考人がおっしゃったとおりであるというふうに私は考えております。
○山添拓君 最後に、もう一点伺います。
オンライン国会、オンラインによる出席を解釈で可能とした場合、どのような場合に憲法上許され、どのような場合許されないか、その判断の基準が曖昧にならざるを得ない点はあるかと思います。
オンラインが不要な場合にもオンラインでやるとか、オンラインでも不可能な場合にまでオンラインでやれるようにすると、それが議会の多数派によってそういう事例が生じ得るかと思います。その歯止めについて、既に議論もされていますが、それぞれ御意見を伺えればと思います。
○参考人(赤坂幸一君) 歯止め、歯止め。議院自律権というものは、議会が自らの議会の審議の在り方について適切と思うように組織できるために認められた権限ですので、それが違うように行使される場合の明確な歯止めというのは設けられておりません。そこで、先ほど申し上げた、手続を決めるときの全会一致ルールの重要性といったものを指摘させていただいたんですけれども、こういったものと併せることで御指摘のような懸念を少しでも軽減するという方策しか現実的にはないのかなと考えます。
○参考人(長谷部恭男君) 大変難しい問題ではございますけれども、この種のやはりぎりぎり例外的な状況でどうするのかということについて、やはりこの国会議員の各会派の先生方の間でそれ相応のコンセンサスが形成できないというのは、これ、それ自体が日本の議会制の危機ではないかと。そこは、壊れないように先生方に御努力をお願いをするということなのではないかなというふうに私は考えております。
○山添拓君 ありがとうございました。

 

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